雑な文章

ここにブログの説明を入れてください

第18回 オチ

各回の最後にオチがあればいいと思う。そうすることで続けて見てくれる人が増えるかもしれない。

終わり良ければすべて良し、なんて慣用句は、それが昔から何度も引用されているというだけの理由で、人間の論理的思考に影響を与える命題になりがちではないか。私はこのような慣用句が嫌いである。人にかけた情け、義理が巡り巡って自分に返ってくるとは限らないし、可愛い子には旅をさせるべきではないかもしれない。

議論が揚げ足取りになった。実にくだらない。くだらない文章でも投稿をしていきたいと思う。というのは、くだらない文章を書くのもやはり自分であって、自分を知ってもらうことがブログを書く理由の一つになっている気がするのだ。

オチはどこ。

第17回 親

私は母親の膵臓を食べたい。というのは、母親の膵臓が何やら悪いらしいのだ。

親というのは実に奇異なものだと思わないか。養育費の対価として何を求めているのだろうか。わざわざ子をもうける理由はなんだろうか。子からの仕送りからリターンを得る投資にしてはリスクが高い。そういう実利的な理由ではなく、そもそも理由はなく、本能として血縁を残しているだけなのか。

この問いには、もっといえば私のブログの中で提示されるあらゆる一般的な問いに対しては、何か適当な論文があって答えられるものだ。だとしたら私がここにこうやってブログを書く意味はないように思われるがそうではない。まだよくわからないが、意味は確かにある。そう信じたい。

第16回 性欲

毎日ある時間帯になるとなんとなく性器を触りたいと思う。そこで自慰をせずには他のことに集中できなくなるのだ。しかし、自慰のせいで私の時間が削がれるのは大変遺憾である。

人間にはその強さに個人差はあれど性欲があり、そのおかげで種として繁栄しているとも言えるのではないか。

それにしても自慰で絶頂を迎える時のあの快感というのは実に素晴らしい。私は男だから射精をする瞬間がすなわち絶頂の瞬間だが、あの時脳から何かが「分泌されている」感覚がある。あれを常に体感しながら生きたいものだが、限界効用が逓減するかもしれない。しかし、科学が発展して、脳に対して適当な生化学的アプローチによって、人類が皆「満たされた状態」であり続けるとしたら、それは実に良いことではなかろうか。経済成長は止まるが、人類の活動は抑制され結果として繁栄、存続できることになったりしないだろうか。

いや、こんな話はいいのだ。私が気になるのは女の絶頂についてなのだ。それが脳で分泌される時、射精できない女の体には何が起こっているのか。そもそもきっかけなどないかもしれない。明日最初に会う女に聞いてみよう。

 

第15回 無題

ああああああああああああああああああああああああ。

ヒトカラ一人カラオケ)で叫ぶとストレスが発散できるけれど、今すぐ叫びたいと思った時は大抵自分はヒトカラにいないのである。部屋で叫んでも隣に迷惑だし、ストレスは発散されないまま脳に貯められてしまう。

私のストレスはほとんど「ある悩み」に起因する。そしてその「ある悩み」とは、自分のやるべきことがわからないことである。空いた時間は、ps4fpsをやりたい。しかし、今は職業訓練をして時給が高い企業に勤めることができればfpsをできる総時間は長くなると思われるのだ。実に賢い。

しかし具体的に、、、、、、、、

 

 

違う、違うのだ。私の悩みはこんな単純なものではない。ない。そしてそれをここに語弊なく文章化する気力や能力がない。したがってここで文章を終わらせるのだ。

第14回 働く人々

私は一体何をしたいのだろうか。とりあえず空腹なので食事をしたい。そうではなくて、もっと大きい時間スケールで何をしたいのか。ここで一般人は、進みたいキャリアや就きたい職業を答えるのだ。コンサルタント業務を通して自信を成長させたい。ケーキ屋さんになりたい。我々は働かねばならないのである。

何をしたいかという問いに対して、私の答えは究極的には、何もしたくない、である。もう少し詳しく言えば、寝ていたい。これは一般人もそうであろう。でも大抵の人は不労所得だけで生活できないから、やはり働かねばならない。

第13回 人を選ぶ

試験が近づくとどうしてもストレスがたまる。世の中にはいろんな試験がある。ほとんどの試験は大人数の中から適合者を選ぶために行われる。学舎に入るに相応しい者、ある資格を得るに相応しい者、職場で働くに相応しい者。

つい先ほど私は大学の中間試験を終えたばかりである。更新が止まっていたのはこのせいである。進学できるか、を大学側が判断する試験であった。大学からすれば、入学できる実力があったとはいえ、その後に自らが提供してきた講義や環境などの教育に見合った学力が身についていない者を卒業させたくないことは当然である。大学を卒業するとは要求される学修を認められたことに相当するから、ふさわしくない者を卒業させてしまえばその大学の品格に影響がある。

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大学受験というものの存在を知った時に私は思った。一人の人間の能力をたかが二日の試験で測れるのだろうか、もし当日だけ調子が悪かった人は不憫だなぁ。しかし逆にいえば、当日だけ調子がよければいいのであって、この点において、日時を指定しない「抜き打ちテスト」よりかは良心的である。まあ「抜き打ちテスト」だとしても「抜き打ちテスト」があるということを学生が知っていればそれはもはや抜き打ちテストとは呼びにくいが。

どんな適合者を選ぶかによって、抜き打ちテストか否か、抜き打ちと公表するか否かが決まるのだろう。そう考えると私が先ほど受けた中間試験は今もそうであるようにきちんと日時を公表するのが適していると思える。

しかし普通のテストもテスト範囲のどこが出るかは知らされないので広義では抜き打ちと言えるのかもしれない。ここで考えるのをやめる。

ブログは不定期に更新するが、少なくともさしあたりは3週に一度以上としておく。

 

第12回 次元が違う

おたく 0相手を敬ってその家・家庭をいう語。おうち。明日に伺います相手の夫を敬っていう語。相手を敬ってその所属する会社・組織などをいう語。では新製品を出されたそうですね俗に,特定の分野・物事を好み,関連品または関連情報の収集を積極的に行う人。狭義には,アニメーション・テレビ-ゲーム・アイドルなどのような,やや虚構性の高い世界観を好む人をさす。漫画は多くオタクと書き,代名詞としてこの語を使う人が多いことからの命名という。1980年代中ごろから使われる語〕

オタクです、と言うより、やや虚構性が高い世界観を好みますと言ったほうが聞こえが良い。そう、二次元の媒体に触れる機会が多い人は虚構性を好む傾向があると思うのだ。たとえばfpsはその最たる例である。戦場で銃を持って戦うなんてことは一般人には物理的に不可能だが、画面を通して、コントローラーを通してそれを追体験することはできる。敵を撃ち殺すことができる。また、別のジャンルなら、理想の異性と交際することさえ可能である。犯罪を犯すこともできる。

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そう、現実では許されないことが虚構の世界で可能なのだ。それゆえに人は、特に私は虚構の世界を愛している。現実に飽きてしまった。残念ながら私は虚構ではなく現実に生まれ落ちてしまったために、食パンを咥えて走ってきた少女と曲がり角でぶつかることもなく、異性の幼馴染もおらず、何かしらの天才的な素質も持たず、異世界に転生することもないまま20年が過ぎた。虚構からふと現実に帰るたびごとに「それに比べて自分は。。。現象」に陥った。

そしてfelix_the_catは自省し、これからは現実に向き合って生きていこうと固く決意したのだった。めでたしめでたし。

という主人公成長ドラマみたいな展開が訪れてほしい。